三 フォイエルバッハの宗教哲学と倫理学

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 フォイエルバッハの本当の観念論は、かれの宗教哲学と倫理学までくると、あきらかになる。かれはけっして宗教をなくしようとするのではなく、それを完成しようとするのである。哲学そのものを宗教に解消しようとするのである。「人類の諸時代は、ただ宗教上の変化によってのみ区別される。なんらかの歴史的な運動は、それが人間の心に達するときのみ、根底に達する。心は宗教の一つの形式ではなく、したがって宗教は心のなかにもまたあるというようなものではない。それは宗教の本質である。」(シュタルケの本の一六〇ページの引用による。)宗教とは、フォイエルバッハによれば、人間と人間との感情の関係、心情の関係であって、この関係はこれまで現実の幻想的映像のうちに――人間の諸性質の幻想的映像である一つの神あるいは多くの神による媒介のうちに――その真実を求めてきたが、いまやそれを我と汝とのあいだの愛のうちに、直接に、媒介者なしに見いだしているのである。こうしてけっきょく、フォイエルバッハにおいては、恋愛がかれの新しい宗教の実行の、最高の形式ではないにしても、最高の形式の一つとなる。

 ところで、人と人のあいだの、とくに男女のあいだの、愛情にもとづく関係は、人類が存在するかぎり存在してきた。とくに恋愛は、過去八百年のあいだに発達をとげて、この期間のあらゆる文学の欠くことのできない廻転軸となるような地位をしめるにいたった。現在の諸既成宗教のすることは、夫婦関係の国家的規制すなわち婚姻法により高い認可を与えることにかぎられていて、もしそれらが明日にでもすべて消えてなくなっても、恋愛と友情は少しも変化をうけることなくおこなわれるであろう。じっさいフランスで一七八九年から一七九八年までキリスト教が事実上なくなって、ナポレオンでさえそれをふたたび導きいれるのに抵抗と困難を経験しないではすまなかったが、それでもこの中絶の期間にフォイエルバッハの言うような宗教の代用物への要求はあらわれなかった。

 フォイエルバッハの観念論は、このばあい次の点にある。すなわち、かれは、恋愛、友情、同情、献身、等々のような、相互の愛情にもとづく人と人との関係を、かれにとっても過去のものになっている或る特定の宗教の追憶なしに、それ自身あるがままの形ですなおに受取らず、それらは宗教の名によってより高い認可があたえられるとき、はじめて十分に価値あるものとなる、と主張しているのである。かれにとって主要なことは、これらの純粋に人間的な諸関係が存在しているということではなくて、それらが新しい真の宗教として把握されるということである。それらは、宗教の刻印をうたれてはじめて完全に価値あるものとなると言うのである。宗教(レリギオーン)(Religion)という言葉はラテン語の結ぶ(レリガーレ)(religare)からきたもので、がんらい結合という意味である。したがって二人の人間のあらゆる結びつきは一つの宗教である。こんな語源学的詭計(きけい)が観念論哲学の最後の手だてとなっている。言葉がじっさいに使用されるばあいの歴史的発展からみてなにを意味するかでなく、語源上なにを意味するかが、重要だというのである。こうして男女間の恋愛と結合が「宗教」に祭りあげられるが、それはただ観念論の思い出にとって大切な宗教という言葉を言語から消滅させないようにするためである。ちょうど同じようなことを四十年代にルイ・ブラン〔Louis Blane、一八一一ー一八八二、フランスの小ブルジョア的社会主義者〕派のパリの改良主義者たちも言っていた。かれらも、フォイエルバッハと同じく、宗教のない人間というものは怪物としか考えられなかったので、われわれに向かって、「では、無神論が君たちの宗教じゃないか!」(Donc, I'athéisme c'est votre religion!)と言っていた。フォイエルバッハは根本において唯物論的な自然観の基礎の上に真の宗教をうちたてようとしているが、これは近代の化学を真の錬金術と考えるのとおなじである。宗教が神なしに存在しうるとすれば、錬金術も賢者の石なしに存在しえよう。ついでながら、錬金術と宗教とのあいだには非常に密接なつながりがある。賢者の石は神に似た多くの性質をもっており、紀元一、二世紀のエジプトやギリシャの錬金術者たちがキリスト教の教義の発達に関与していたことは、コップ〔Hermann Kopp、一八一七ー一八九二、ドイツの化学者、『化学史』の著書がある〕とベルトロ〔Marcelin Berthelot、一八二七ー一九〇七、フランスの化学者〕が提供している資料が証明しているとおりである。

 「人類の歴史は宗教上の変化によってのみ区別される」というフォイエルバッハの主張は決定的な誤りである。おおきな歴史的転換点が宗教上の変化をともなっているということは、これまで存在してきた三つの世界的宗教、仏教、キリスト教、マホメット教だけを見るかぎりでのみ言えるだけである。古い、支配的に生じた種族宗教や民族宗教は布教的なものではなく、種族や民族の独立がこわれると、あらゆる抵抗力を失った。ゲルマン人のばあい、事態がそうなるには、亡びかかっているローマ世界帝国、およびそれが採用したばかりの、そしてその経済的・政治的・思想的状態に適応していたキリスト教という世界宗教と接触しただけで、十分であった。多かれ少かれ人為的に生じた世界的宗教、特にキリスト教とマホメット教のばあいにはじめて、われわれは一般的な歴史的運動がある宗教的な刻印をとるのを見るのである。そしてキリスト教のばあいでさえ、じっさいに一般的意義をもつ革命に宗教的な刻印がうたれたのは、一三世紀から一七世紀までのブルジョアジーの解放闘争の最初の諸段階にかぎられており、しかもそれは、フォイエルバッハが考えているように、人間の心情と宗教的要求から説明されるものではなく、宗教と神学のほかにはどんな形のイデオロギーをも知らなかった中世的前史全体から説明されるのである。一八世紀にブルジョアジーが十分に強くなり、その階級的立場に適応する独自のイデオロギーをも持つようになると、それはフランス革命という徹底的な大革命を、ひたすら法律的および政治的観念に訴えて遂行し、宗教のことを気にしたのは、それが革命の妨げとなったかぎりにおいてのみであった。そのばあいでもそれは古い宗教のかわりに新しい宗教をもってくることなど思いつかなかった。ロベスピエールがそれでどんなに失敗したかは(注一)、人の知るとおりである。

(注一)ロベスピエールが「最高存在」(理性)の宗教をつくろうとした試みをさす。

 今日われわれにとっては、他の人々との交際において純粋に人間的な感情を味う可能性は、われわれがそのうちに生活している、階級対立と階級支配とに基礎をおく社会によって、すでに十分に減殺(げんさい)されている。この感情を宗教に祭りあげて、それをわれわれ自身にたいしていっそうそこなわなければならない理由はない。同じように、歴史上の大きな階級闘争の理解も、ふつうの歴史叙述によってすでに十分にあいまいにされており、とくにドイツではそれが甚しいのであるから、この闘争の歴史を教会史のたんなる一付録にまで変えて、その理解をまったく不可能にする必要はないわけである。すでにこの点でも、われわれがフォイエルバッハからどんなにかけはなれているかがわかる。新しい愛の宗教を賛美するかれの「もっとも美しい個所」も、今日では少しも読む値打ちがない。

 フォイエルバッハが真剣に研究している唯一の宗教は、一神論の上にたてられた西洋の世界宗教、キリスト教である。かれは、キリスト教の神が人間の幻想的反映、映像にすぎないことを証明している。ところでこのキリスト教の神そのものが、ながい間の抽象過程の産物であり、以前の多数の氏族神および民族神の集中的精髄である。したがって、神がその映像である人間もまた現実的人間ではなく、同じく多くの現実的人間の精髄であり、抽象的人間であって、したがってそれ自身再び思想像である。あらゆるページで感性を説き、具体的なもの、現実的なものへの没頭を説いているフォイエルバッハが、ひとたびたんなる男女関係以外の関係について語りだすと、まったく抽象的になってくる。

 この関係においてフォイエルバッハはただ一つの側面、道徳しか見ない。ここでもまたわれわれはヘーゲルとくらべてフォイエルバッハのおどろくべき貧弱さにあきれるのである。ヘーゲルの倫理学あるいは人倫の学は法の哲学であって、それは、(一)抽象的な法(das abstrakte Recht)、(二)道徳(Moralität)、(三)人倫(Sittlichkeit)を含み、人倫はさらに家族、市民社会、国家を含んでいる。ここでは形式は観念論的だが、内容は実在論的である。ここには道徳のほかに、経済、政治の全領域が包括されている。フォイエルバッハではちょうど逆である。かれは形式から言えば実在論で、人間から出発してはいる。しかしかれは、この人間がそのうちに生活している世界については一言も言わず、したがってこの人間は、いつまでも、宗教哲学のうちで口をきいていたのと同じ抽象的な人間のままである。というのは、この人間は母親の胎内から生れたのではなくて、一神教的な神から脱皮したのであるから、したがってまた、歴史的に発生し歴史的に限定されている現実の世界のなかに生活していないからである。かれはほかの人々と交わりはするが、この人々もすべてかれ自身と同じように抽象的である。宗教哲学にはそれでもまだ男と女がいたが、倫理学ではこの最後の区別さえ消えうせている。なるほどフォイエルバッハにも、あちこちにではあるが、次のような文章が見いだされはする。――「宮殿のなかでは人はあばら屋のなかとはちがった考えかたをする。」――「飢えや貧窮のために君の腹のなかになにもないときには、君の顔、君の心情のなかにも、道徳にいたるなにものもない。」等々。しかしフォイエルバッハはこれらの言葉からまったくなにもつくりだすことができず、それはまったくの空言にとどまっている。そしてシュタルケでさえ、フォイエルバッハにとって政治は越えることのできない国境であり、「社会学はかれにとっては未知の国であった。」ことを認めざるをえないでいる。

 それにおとらずフォイエルバッハがヘーゲルとくらべて平板に見えるのは、善悪の対立の取扱いにおいてである。ヘーゲルは言う。「人間は生れつき善であると人が言うとき、人は非常に偉大なことを言うのだと思っている。しかし、人間は生れつき悪であると言うとき、人はこの言葉によってはるかに偉大なことを言っているのだということを忘れている。」〔ヘーゲル『宗教哲学』のキリスト教のところ、グロックナー版全集、第十六巻、二五八ページ〕。ヘーゲルにおいては、悪とは、歴史の発展の推進力が現れる形式である。そして、これには二つの意味が含まれている。すなわち、一方では、あらゆる新しい進歩は必然的に神聖なものにたいする冒涜、死滅しつつあるが習慣によって神聖化されている古い状態への反逆として現われるという意味である。他方では、階級対立の出現以来、歴史の発展の梃子(てこ)となっているのは、貪欲と権勢欲のような人間のもっとも邪悪な激情であるという意味であって、例えば封建制とブルジョアジーの歴史は、たえずその無類の証明をなしている。ところが、道徳的な悪の歴史的役割を研究するというようなことは、フォイエルバッハには思いもよらないことであった。歴史はかれにとっては一般に居心地のわるい、無気味な領域である。かれは「人間はもと自然から生じたものであるから、したがってまたかつてはたんなる自然的存在で、人間ではなかった。人間は人間、文化、歴史の産物である」と主張してはいるが、この主張さえかれにおいてはまったく実(み)をむすんでいないのである。

 したがってフォイエルバッハが道徳についてわれわれに告げるものは、ひどく貧弱なものでしかありえない。かれによると、幸福を求める衝動が人間に生れながらに具(そなわ)っており、したがってこれがあらゆる道徳の基礎でなければならない。しかし幸福衝動は二重の修正をうける。第一には、われわれの行為の自然的な結果、例えば飲みすぎの結果は二日酔いであり、常習的な放蕩の結果は病気であるということによって修正される。第二には、その社会的結果によって、すなわち、われわれが他の人々の同じ幸福衝動を尊重しなければ、かれらは抵抗してわれわれ自身の幸福衝動を妨害する。ここから、われわれの衝動を満足させるためには、われわれの行為の結果を正しく評価し、他方では同じ衝動への平等な権利を他人にも認めなければならないという結論が生れる。したがって、われわれ自身にたいしての合理的な自制と、他の人々との交わりにおいては愛――またしても愛!――が、フォイエルバッハの道徳の二つの原則であって、その他の規則はすべてこれから導きだされるのである。フォイエルバッハの才気にみちた叙述も、シュタルケの力をこめた賛辞も、以上二つの命題の貧弱さと平板さをおおいかくすことはできないのである。幸福衝動というものは、人が自分自身とのみかかわっていたのでは、ごく例外的にしかみたされるものではなく、また自分と他人のためになることはけっしてない。幸福衝動は、外界との交渉を必要とする。すなわち、それを満足させる手段である食物、異性、本、談笑、議論、活動、消費したり働きかけたりする事物、などを必要とする。フォイエルバッハの道徳は、幸福衝動をみたすこれらの手段や事物が各人にちゃんと与えられていることを前提しているか、でなければ実行不可能なありがたい教えを各人に与えるだけで、したがってこれらの手段をもたない人々にとっては三文(さんもん)の値打ちもないものであるか、どちらかである。そしてこうしたことをフォイエルバッハは次の率直な言葉で語っている。「宮殿のなかでは人はあばら屋のなかとはちがった考えかたをする。飢えや貧窮のために君の腹のなかになにもないときには、君の顔、君の心情のなかにも、道徳にいたるなにものもない。」

 他人の幸福衝動の平等な権利はもっとうまくいっているであろうか。フォイエルバッハはこの要求を絶対的なもの、どんな時代と事情にたいしても通用するものとして提出している。しかしそれはいつから通用しているのか。古代においては奴隷と奴隷所有者とのあいだに、中世においては農奴と領主とのあいだに、幸福衝動の同権が一度でも問題になったであろうか。非抑圧階級の幸福衝動は、容赦なくしかも「法の利益のために」支配階級の幸福衝動の犠牲にされなかったであろうか。そうだ、それはじっさい不道徳なことであった。しかし今日では同権が認められている、と人は言うかもしれない。たしかに言葉のうえでは認められている。ブルジョアジーが封建制にたいする闘争において、また資本主義的生産の発展につれて、すべての身分上の、言いかえれば人身的な特権を廃棄し、最初は私法の領域で、ついでまた次第に国法の領域で、各人の法律的同権をとりいれることを余儀なくされて以来、またそのかぎりでは、そうである。しかし幸福衝動というものは、観念的権利によって生かされるのは極小の部分だけで、その最大の部分は物質的手段によって生かされるのである。そして資本主義的生産は、平等の権利を持つ諸個人の大多数に、とぼしい生活に必要なものしか手にはいらないように心をくばっており、したがって多数者の幸福衝動を尊重しないのは、ほとんど奴隷制や農奴制におとらないのである。幸福の精神的手段である教養手段について言えば、もっとうまくいっているであろうか。「サドワの校長(注一)」でさえ神話的人物ではないか。

(注一)サドワはボヘミヤの村の名、一八六六年この付近でプロシャ軍はオーストリア軍を破ったが、そのときライプチッヒ大学教授のペッシェルは「サドワの勝利はプロシャの校長(つまりプロシャ的学校制度)の勝利である」と語ったという。この言葉はその後ドイツのブルジョア的出版物で広く用いられていた。

 それだけではない。フォイエルバッハの道徳理論によると、人がいつでも正しく思惑(おもわく)する(spekulieren)と仮定しさえすれば、株式取引所が人倫の最高の殿堂となる。もしわたしの幸福衝動がわたしを取引所へつれていき、そしてわたしがそこでわたしの行為の結果を正しく商量して、わたしに愉快な結果だけがもたらされて少しも損がもたらされないとすると、つまりわたしが得ばかりするとすると、それでフォイエルバッハの規則は実行されたことになる。またわたしは、そうすることによって、他人の平等な幸福衝動を侵害しはしない。なぜなら、他人もわたしと同じく自由意志で取引所へ行ったのであり、わたしと投機取引の契約を結ぶばあい、わたしがわたしの幸福衝動にしたがったと同じように、かれの幸福衝動にしたがったのであるから。そしてもしかれがかれの金(かね)を失うとすれば、まさにそのことによってかれの行為は、商量の仕方がわるいのだから、倫理的でなかったことが証明されるのである。そしてわたしはかれに当然の罰を加えたのであるから、現代のラダマンテュス(注一)として得意顔にふんぞりかえることさえできるわけである。愛もまた、それがたんに感傷的な空語でないかぎり、株式市場で支配している。というのは各人が他人のうちに自分の幸福衝動の満足を見いだすからであり、そしてこれこそ愛が果すべきことであり、またじっさいに行っていっていることだからである。そしてもしわたしが取引所でわたしの操作の結果を正しく予見して投機し、したがって成功するとすれば、わたしはフォイエルバッハの道徳のあらゆる厳密な諸要求をみたすのであり、おまけに金持にもなるのである。言葉をかえて言えば、フォイエルバッハの道徳は、フォイエルバッハ自身はそうしたことをのぞまずまた気づかないにせよ、今日の資本主義社会に誂え(あつらえ)向きにできているのである。

(注一)ギリシャ神話によると、ラダマンテュスはゼウスとエウロペの子で、クレタ島王ミノスの兄弟。王を殺そうとしたという嫌疑を誤りうけて同島を脱出したが、神々はかれが生前公平であったことをたたえて、死後冥府の裁判官とした。

 だが愛とは!――じっさいフォイエルバッハにおいてはいたるところまたいつでも、愛が実際生活のあらゆる困難を切り抜けさせる神通力をなしている――しかも、正反対の利害を持つ階級に分裂している社会においてのことなのだ。それとともにかれの哲学からその革命的性格の最後の名残りが消えて、残るのはただ古いきまり文句、汝らたがいに愛せよ、性と身分の区別なくたがいに抱きあえであり、万人協調の夢想である。

 要するに、フォイエルバッハの道徳理論は、すべての以前の諸理論とおなじである。それはあらゆる時代、あらゆる民族、あらゆる状態に合うようにつくられており、まさにそのためにどこにもまたどんな時代にも適用されず、現実の世界にたいしては、カントの定言的命令と同じように無力である、現実の世界では、それぞれの階級が、いなそれぞれの職業でさえ、それに固有の道徳をもっており、罰せられずにそうしうるときには、それを破りもする。そしてすべての人を結合すべき愛は、戦争や争いや訴訟や家庭争議や離婚や、一階級による他階級のできる限りの搾取やのうちにあらわれるのである。

 ところでフォイエルバッハが与えた力づよい刺激が、かれ自身にたいしてはこんなにも実りのない結果になるというようなことが、どうしておこりえたのであろうか。そのわけは簡単である。フォイエルバッハは、かれ自身が死ぬほどきらっていた抽象の世界から生きた現実の世界への道を見いだすことがなかったのである。かれは自然と人間に力いっぱいしがみついている。しかしかれにおいては自然と人間はたんなる言葉にすぎない。現実の自然についても、現実の人間についても、かれはわれわれになんらはっきりしたことを語ることができない。しかしフォイエルバッハの抽象的人間から現実の生きた人間に達するには、人間を歴史のうちで行動しているものと見さえすればいいのである。しかしフォイエルバッハはこれを拒んだ。したがって一八四八年という年は、かれには理解されずそれはかれにとって現実の世界との最後的な絶縁、孤独な生活への隠遁しか意味しなかった。その責めはまたしても主として、かれをいたましくも零落させたドイツの事情にあるのである。

 しかし、フォイエルバッハがふみださなかった一歩は、どうしてもふみだされなければならなかった。フォイエルバッハの新しい宗教の核心をなしていた抽象的人間の礼拝は現実の人間およびその歴史的発展の科学によっておきかえられなければならなかった。このフォイエルバッハを越えてフォイエルバッハの立場をいっそう発展させるという仕事は、一八四五年マルクスによって『神聖家族』のうちではじめられたのである。




 
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